「うたばん」の功績

夜8時ごろ,定食屋で焼肉定食を食べながらテレビを何気なく見ていると,「うたばん」が今日で最終回とのこと。
知らなかった。ここの定食屋に来なければ絶対に見逃していた。
さっそく3時間の総集編をカーナビと自宅のテレビでチェック。
ものすごい懐かしい。こうしてまた1つ名物番組が終わっていく。


「うたばん」は13年半続いたそうだ。
僕が高校生の頃からやってるわけだ。そりゃ長いわ。
これだけ歴史のある番組でも視聴率が取れないんだから,TBSの編成部がいかにひどいかがわかる。


「うたばん」がミュージックシーンに与えた功績は大きいと思う。
最大の功績は「いっくん」という一見地味な人材を発掘し才能を開花させ,広く世に知らしめた点であろう。
「ジョンソン」を初めとする初期モーニング娘。のキャラ確立にも大きく寄与したことは間違いない。


しかし,僕にとってどうしても「うたばん」とは切っても切り離せないミュージシャンがいる。


それは「19」(ジューク)だ。
19は「うたばん」でブレイクした。これは本人たちも認めるところである。
事の顛末について述べるので,しばしお付き合いいただきたい。


彼らの代表曲『あの紙ヒコーキくもり空わって』(以下『紙ヒコーキ』)は1999年3月20日に発売された。
前年にデビューした彼らのセカンドシングルであった。
当時の19には,岡平健治岩瀬敬吾の2人に加えてポップアーティストの326(ナカムラミツル)が参加していた。
TBSが326の描くキャラクターを局のキャンペーンに使用していた関係で,『紙ヒコーキ』はTBSのキャンペーンソングとしてCMで大量オンエアされる。
レコード会社やCD店のプッシュもあってじわじわ人気は広がり,4月下旬にはオリコン24位まで上昇した。
しかし,新人であるがゆえにマスメディアでの扱いは小さく,その後は徐々に順位は後退,オリコン50位から転落寸前となっていた。


さあ皆さん,ここで今日の「その時」が訪れます。(松平定和アナ風に)


1999年6月10日。
「うたばん」初の“かくし玉”として登場したのが,19だった。
初めて出演する全国ネットの音楽番組,しかもゴールデンタイム。
ガチガチに緊張した彼ら(特に健治と敬吾)は,石橋・中居コンビの容赦ない振りに対してろくに受け答えができず,まったく自分たちの色を出すことができなかった。
つまらない奴らだ・・・そう思った視聴者も多かったのではないだろうか。
ところがコーナー後半で,サプライズが起こった。


健治は高校卒業後,家出同然で広島の実家を飛び出し,大阪の中華料理店に住み込んで働きながら音楽の道に進んでいる。
その中華料理店の店主がVTRで登場し,健治に激励メッセージを送ったのだ。
家も金もない自分を支えてくれた店の主人への感謝の思いがあふれ出し,健治は涙が止まらなくなってしまう。
さすがの石橋・中居もオロオロするばかり。
見た目はやんちゃな20歳そこらの若者が,ゴールデンタイムの音楽番組でありえないくらいボロボロ涙を流す姿は全国に大きなインパクトを与えた。


「うたばん」オンエア翌日,『紙ヒコーキ』はオリコンのデイリーチャートで突如としてトップ10入りする。
ウィークリーチャートも順調に上昇し,他局も慌てたのか7月上旬には「Mステ」「HEY!×3」に相次いで出演。
ついに7月19日,発売から4ヶ月かけてウィークリーチャート6位まで上り詰めた。
(結局10位以内に入った週はこの1週だけであったが,その前後にわたり10週連続で20位以内をキープするロングヒットとなった。)


そして絶好のタイミングで7月23日に発売されたファーストアルバム『音楽』はオリコン初登場2位を記録。
6週連続で5位以内にとどまり,売り上げは100万枚を突破した。
年末には紅白歌合戦に初出場。半年前には考えられなかった舞台に立った。
すべては「うたばん」から始まったサクセスストーリーである。


・・・いかんいかん,ドキュメンタリー大作になってしまった。
そういえば19解散からちょうど8年かぁ。
彼らがもし解散していなければ,今頃どんなポジションにいるんだろう。
当時,19はポルノグラフィティなんかと一緒によく番組やイベントに出ることが多かった。
今のポルノみたいなポジションで,しかも女優が奥さんだったりするんだろうか(笑)
ちなみに19もポルノも広島出身じゃけん。
ほじゃの。